宇宙人接触!?ロズウェル事件

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1947年7月アメリカ合衆国ニューメキシコ州ロズウェル付近で墜落したUFOが米軍によって回収されたとして有名になった事件です。他にもロズウェルUFO事件とも呼びます。地名が事件名になっていますが、付近といってもロズウェルからは約70マイル離れていましたが、ロズウェル陸軍飛行場(1967年に閉鎖)が深く関わっていたためロズウェル事件と呼ばれます。

ロズウェル事件については様々な情報があるため、どんな情報が信用できるのか未だに判明していません。では一体どんな情報があるのか見てみましょう。

ロズウェル事件の経緯

事の発端は1947年7月8日、ロズウェル陸軍飛行場から「空飛ぶ円盤」を回収したと報告がありました。6月14日、農家であるウィリアム・マック・ブレイゼルは勤務場所であるフォスター牧場にて奇妙な残骸があることに気が付きました。この牧場はロズウェルの北約70マイルにある、J・B・フォスターが所有する牧場でありウィリアムはこの牧場の管理者です。

ウィリアムはその残骸を地元の保安官に報告、そして軍へ報告。

残骸をウィリアムとその息子の証言は「広い範囲にゴムひも、錫箔、頑丈な紙、棒によって作られた残骸がある」と言いました。それらを家族みんなで収集しました。

報告を受けた保安官「ウィルコックス」は陸軍飛行場にいるジェシー・マーセル少佐と「私服の男」がウィリアムに同行し牧場へ戻り、さらなる破片が回収されました。その際に「”我々”は気象デバイスのさらなる部分を探すのに月曜”7月7日”の午後の2時間を費やした。我々は気象デバイスのスズ箔とゴムのパッチをもう少しだけ見つけた」と少佐は発言、彼らは次にその回収物を再組み立てしようと試みましたが、上手くいかず翌朝その回収物をマーセル少佐は陸軍飛行場へと持ち帰りました。これがロズウェル事件の大まかな経緯となります。

異星人の話の出現

1978年、元核物理学者で作家のスタントン・T・フリードマンはジェシー・マーセル少佐にインタビューをしました。マーセル少佐は回収された場所からフォートワースまでロズウェルの残骸に同行したとされる唯一の人物です。

それからほぼ15年間、彼や他の関係者はロズウェル事件についての話をもたらし、このインタビューによりロズウェルを忘れられた事件から最も有名なUFO事例へと押し上げる結果になりました。

1990年代初頭までに、ケビン・ランドルとフリードマン、ウィリアム・ムーアそして、カール・フロック、ドン・シュミットのUFO研究家チームたちは1947年のロズウェルでの出来事に関係をもつ、主張する人数百人にインタビューをしました。さらに何百もの文書が情報公開法に基づく請求を通して情報を得られました。彼らが得た情報を元に出した結論は少なくとも一機の異星人の乗り物が墜落したこと、そして異星人が回収されてその一部はまだ生存していた可能性があるということ。事件についてあらゆる知識に対する大規模な隠蔽が行われていたということ。

これにより、多数の本や記事、テレビ特集、さらには映画までもが1947事件に名声と悪評をもたらしました。これにより世論調査では、異星人が地球に訪れたことを政府がその事実を隠蔽したことを信じる人々が大多数でした。

しかし、その後の調査により墜落したものは気象用観測気球ということが明らかとなりこの事件が終わりました。

誰も解読できないヴォイニッチ手稿

世の中には不思議なモノがあります。古代象形文字や壁画に刻まれた絵画達。考古学者たちはそれらを読み解き、その時代になにが起こったのか、そして未来に何を語りたかったのかを知ります。

そこで、このヴォイニッチ手稿。1912年イタリアで発見された古文書です。多数の奇妙な絵が描かれ、未解読の文字が記されている手稿です。大きさは23.5cm×16.2cm×5cm。左から右読み。現存するページ数で約240ページあり、羊皮紙でできている。文章に使用されている言語は今まで何度も解読の試みがされているが、未だ解明されていない。当然ながら、この手稿のタイトルすら判明していない。ではなぜこのヴォイニッチ手稿には「ヴォイニッチ手稿」という名前が付いているのか。これは発見者であるポーランド系アメリカ人の革命家で古書収集家のウィルフリッド・ヴォイニッチにの名前が付けれられている。

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ヴォイニッチ手稿の内容については、解読されていないため全くわからない。手稿には記号システムが確認されている特殊な文字によって、何らかを説明する詳細の文章が多数記されており、ページの上部や左右にはかなり緻密な植物や花を思わせる色彩画が描かれている。絵は植物が多いが、ほかにも銀河や星雲などの天体図の様な絵や、複雑な配管の様な絵、プールか浴槽に浸かった女性等の不可解な絵が多数描かれている。

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文章を言語学の統計的手法で解析した結果、並んでいる文字は決してデタラメな文字列ではなく、自然言語か人口言語のように確かな意味を持つ文章列として判断された。また挿絵の分析から内容を推測する試みもなされたが、これも結果的に解読するには至らなかった。描かれている植物の絵は実在する植物の精密なスケッチのように見えるが、詳細に調べても描かれている植物は実在はしなかった。何のためにこれほど詳細な架空植物の絵をが入っているのか理由は判明していない。ヴォイニッチ手稿に描かれている人物も全裸であることから、服飾に基づく文化や時代の判明も困難になっている。浴槽に浸かった女性の絵は12世紀から13世紀頃に南フランスで栄えたカタリ派の耐忍礼の儀式を表しており、言葉はフラマン語を基にしたクレオール言語で書かれているとレオ・レヴィトフは1987年に出版した著書でそう記している。

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また第二次世界大戦時に、数々の暗号を解読した暗号の天才と呼ばれた、ウィリアム・フリードマンが1945年に解読に挑戦するもわからなかった。解読に試みたフリードマンは暗号というよりも人工言語の類ではないかと示唆している。

作者はいったい誰なのか

手稿の執筆時期については全くわかっていない。2011年にアリゾナ大学で行われた、放射性炭素年代計測により、手稿に使用されている羊皮紙は1404年~1438年頃に作られていると判明した。そのため執筆は後年である可能性がある。作者についても諸説あり、わかってはいない。しかし、イングランドの学者、ロジャー・ベーコンとする説では、挿絵から判断し薬草学に関する何らかの知識か見解を宗教的に迫害から守るため、非常に特殊な暗号を使って記載したのではないかとしている。

殺人鬼、ロンドンの闇に潜む「切り裂きジャック」

切り裂きジャック(ジャック・ザ・リッパー)は1888年にイギリスのロンドンで連続発生した猟奇殺人事件の犯人の通称。この事件は未だ解決しておらず、犯人像についてはいくつもの説があります。

事件の発端は1888年8月31日(金曜日)メアリー・アン・ニコルズ(同時42歳)が喉を切り裂かれ、腸が飛び出しており、性器にも刺し傷がある状態で発見されました。遺体発見場所はロンドン・ホワイトチャペル付近の路地裏を巡回していた巡査が発見。彼女はこの界隈で仕事をしていた売春婦であった。遺体を発見した巡査を含め警察組織の調査の結果、彼女の遺体状況は明らかに異質であり、物盗りや怨念とも思えないと結論づけた。

この殺人事件は付近の住人達を不安にし、この不可解な殺人の話題で持ちきりになりました。

そして、同年9月8日(土曜日)に事件が起こりました。被害者は同じ売春婦であるアニー・チャップマン(当時47歳)です。遺体状況は前に起こった事件と同様で喉を切り裂かれ、腸が引きずりだされており、その上子宮と性器、膀胱が切り取られておりさらにひどい殺害状況でした。この事件は目撃証言がありますが、裏付ける証拠も一切ありませんでした。

さらに同年9月30日(日曜日)には同じ日に2人の犠牲者がでました。まず一人目である前回、前々回と同じ売春婦であるエリザベス・ストライド(当時44歳)が切り裂かれ、次にこちらも同じく売春婦であるキャサリン・エドウッズ(当時43歳)が無残な遺体で発見されました。エドウッズの遺体状況はなんと左の腎臓と子宮がなくなっており、犯人が持ち去ったと考えられています。

ここで事件の共通性として、殺害された被害者全員が「売春婦(娼婦)」であること。犯行現場は常に公共の場、もしくはその場所に近い所で行われ、凶器は鋭利な刃物で喉を掻き切られ、その後は特定の内蔵を摘出されること。そのため、その共通点から犯人は解剖学的知識があるとされ、ジャックの職業は「医師、またはそれに近い職業、従事している」という説が有力視されています。

切り裂きジャックの最後の犯行とされているのが同年11月9日(金曜日)これが事件上一番残忍な殺害方法によって殺されてしまいました。被害者は売春婦であるメアリー・ジェーン・ケリー(当時25歳)です。他の被害者と比べ若く、しかも殺害現場は屋外ではなく彼女の自室でした。そのため時間余裕や第三者から目撃される可能性が低いためか、切り裂きジャックは彼女を完全にバラバラにしました。遺体状況は四肢や首を切断どころか、乳房は両方切り取られ、鼻は削がれ、内蔵が抜かれて空洞になっており、空洞になった場所に切り取られた腕が押し込まれていました。皮膚も削がれ、切り取った物は近くのテーブルに積み上げられていました。

これが現在判明している切り裂きジャックによる被害者です。他にも被害者として考えられている人物がいますが、切り裂きジャックによる犯行とはみなされていません。

切り裂きジャックによる落書きか?

1日に2件の殺人が行われた9月30日の早朝、アルフレッド・ロング巡査が犯行現場を捜索中に血のついた布を発見しました。後の調査により、この布はキャサリン・エドウッズが身につけていたエプロンの一部ということが判明しました。その近くの壁には白いチョークで書かれた文章もあり、内容は「The Jews are the men That Will not be Blamed for nothing.(ユダヤ人は理由もなく責められる人たちなのではない)」というものでした。

この文章をみたトーマス・アーノルド警視は夜が明けて人々がそれを目撃することを恐れました。アーノルド警視はその文章が一般大衆の反ユダヤ主義的感情を煽るのはないかと思ったからです。事実、メアリ・アン・ニコルズの殺害以降に人々の間でユダヤ人の犯行ではないかという噂が流れていました。そのためアーノルド警視はこの文章を削除するように指示を出しました。しかしロンドン市警察の警察官たちはこの指示に反対でした。警察官達はこの文章は犯人に繋がる証拠かもしれない、削除する前に写真を撮影すべきだと主張したが、アーノルド警視はこれに賛成せず、結局明け方に消されてしまいました。

切り裂きジャックと思われる7人の被疑者達

これはあくまでも切り裂きジャックではないかという被疑者であり、他にも多数いるがその中でも特に有名な人物です。

・モンタギュー・ジョン・ドルイト

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弁護士であり、教師をしていました。3件目の事件で目撃証言があり、その目撃証言と似ている人物とされました。また最後の事件が起こった後12月1日にテムズ川に飛び込み、自殺しました。

・マイケル・オストログ

ロシア人医師であり、殺人を含む複数の前科がありました。ロシア海軍付き外科医の経歴を持ち、窃盗や詐欺の常習犯であり、逮捕後に精神医療施設に隔離された経験があります。疑われた原因としてホワイトチャペルでの事件時に所在不明だったことから、捜査当局で被疑者として名前が挙がりました。

・トマス・ニール・クリーム

アメリカ人医師であり、危険な薬物(ストリキニーネ)を用いて売春婦を毒殺しました。その殺害方法から「ランベスの毒殺魔」と呼ばれていました。

切り裂きジャックの起きた1888年から6年後の1892年に死刑(絞首刑)が執行されました。死刑実行の際、絞首台にて「自分が切り裂きジャックだ」と言い残したとされています。(正確には “I am Jack the… ”といったところで床板が外れたそうです)

しかし、1888年当時、トマスはアメリカのイリノイ州にある刑務所に投獄されていたため犯行は不可能とされています。自分が切り裂きジャックだという発言も「私は射精している(I am ejaculating)」という言葉の聞き間違いだったのではないかと指摘されています。

・アーロン・コンミンスキー

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ポーランド出身でロンドン在住のユダヤ系理髪師です。殺人現場となったイースト・エンド近辺に住み、犯罪歴・精神病院への入院歴もあり売春婦を憎んでいました。目撃者の証言により捜査当局に逮捕されましたが、重い精神病の錯乱が見られ、筆跡に関しても切り裂きジャックが書いたとされる手紙と筆跡が一致しなかったため、証拠不十分で不起訴になりました。1919年に強制入院先の精神病院で死亡しました。

・ジェイムズ・メイブリック

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1889年に妻に殺害されたとされる木綿商人。メイブリック事件としてイギリスでは有名であり、有罪とされた婦人は冤罪であるという意見も根強いです。事件の3週間前、現場近くのミドルセクス・ストリートに部屋を借りています。1991年に切り裂きジャックと署名のある日記が発見され、メイブリックが書いたものという主張がされました。しかしその日記は無職の男の偽造であることが後に判明しました。

・ジェイコブ・リーヴィー

ユダヤ人の精肉業者。犯人は「ユダヤ人であり、死体の解体に手慣れており、血まみれの格好をしていても怪しまれない精肉業者」というプロファイリングを基に浮かび上がった被疑者です。

・ウォルター・シッカート

by George Charles Beresford,photograph,1911

職業は画家。著名人の写真などから描いた生像がなども発表しています。なぜ被疑者に挙がったのかは推理小説のベストセラー作家であるパトリシア・コーンウェルは切り裂きジャックの犯行現場を案内してもらう機会があり、その時に捜査当局がこの事件に対して科学的な捜査手法を取っていないことを知り、自身で挑戦してみようと決心しました。そしてその結果ウォルター・シッカートが捜査線状に浮かび挙がってきました。

魔の海域、バミューダトライアングル

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映画や小説、漫画等でも出てくることが多いため、恐らくご存知の方も多いのではないしょうか。しかし漠然と船とか人が消える場所でしょ?という人も多いと思いますので今回はこの「バミューダトライアングル」について、いろいろご紹介致します。

バミューダトライアングルとはアメリカのフロリダ半島の先端と、大西洋にあるプエルトリコとバミューダ諸島、を結んだ三角計の海域です。昔から、船や飛行機、もしくはその乗務員のみが消えてしまうという伝説がありました。

超常現象を取り扱う書籍や雑誌、またはテレビ番組等のメディアの報道によるとその海域を通過中の船舶や飛行機が突如何の痕跡も残さずに消息を絶ってしまうそうです。しかも消息を絶つ直前にコンパス、計器類の異常等の兆候があるとされており、100年以上前から100を超える船舶や飛行機、1000人以上が消息不明となっているとされています。

しかし、単なる遭難事故等を「怪事件」に仕立て上げてしまう例や、それらに関する書籍等で事例として上げられた遭難事故の記録が存在しない、完全な作り話である例もあるといいます。ある種の特異な事例のほとんどは事実を誇張、または歪曲したものであると分かっています。

上記捏造説が一般化するまでには様々な説があり、現在においても当時の説が繰り返し出版、報道されています。その説をご紹介します。

宇宙人説

馬鹿げた説ではありますが、宇宙人がUFOを使い、航空機や船舶そのものや乗客乗員をさらったという説。1940年台におこったUFOブームが起きたため一時取り沙汰されてはいましたが、証明する証拠もなく、さらわれたはずの航空機の残骸と乗客乗員の遺体が発見されるなど辻褄が合わないためこの説はないはずです。

ブラックホール説

バミューダ海域には宇宙に存在するブラックホールが密かに存在しており、異世界と通じているという説。確かに、残骸が残ることはないでしょうが、そもそも周囲の海水はおろか大気すらも際限なく吸い込まれてしまうと考えられるため、少なくとも現代の科学で証明できるような証拠は存在していません。

マイクロバースト説

冷気の塊が界面に落下し、バースト(破裂)したように強風を引き起こす現象という説

メタンハイドレート説

リチャード・マッカイバー博士が提唱し、ジョセフ・モナガン教授、学生のデヴィット・メイによって2003年9月にアメリカ物理学雑誌に発表された説です。

船舶の沈没はメタンハイドレートによってメタンの泡が大量に発生しそれにより船の浮力を失ってしまう。これは海水とメタンの泡の密度が異なるためです。航空機の墜落については、エンジンがメタンの泡で発生したメタンを吸い込み酸欠状態によって不完全燃焼を起こし、出力低下から揚力を失い墜落したと考えられる。この現象はレシプロ、タービン共に説明が可能です。

ではバミューダトライアングルでメタンガスが発生する理由を見て行きましょう。この周辺の海域は世界最大級の暖流が流れこんでおり、メタンハイドレートの多少の水温の変化でメタンガスを放出するため、この暖流によってメタンガスが放出するため、この暖流によってメタンガスが放出されやすいとも考えられるからです。

失われた王国、アトランティス

古代王国アトランティス。古代ギリシャの哲学者プラトンの著書「ティマイオス」及び「クリティアス」の中で記述した、大陸と呼べるほどの大きさを持った島とそこに繁栄した王国の名前です。しかしなぜ失われたのかという部分についてはいくつか説がありますが、アトランティスの神話では、巨大な軍事力を背景に世界の覇権を握ろうとしましたが、それが神ゼウスの怒りに触れてしまい海中に沈められたという話が残っています。

1882年、アメリカの政治家であるイグネイシャス・ロヨーラ・ドネリーが著書「アトランティスー大洪水前の世界」という本を発表したことにより謎の大陸伝説として一大ブームとなりました。さらにオカルトと結びつくことで、多くの派生研究を生む結果となりました。

近年の研究結果によると、地中海にあるサントリーニ島の火山噴火によって、紀元前1400年頃に突然滅んだミノア王国がアトランティスではないかという説が浮上してきました。またヘラクレスの柱をダーダネルス海峡とし、トロイア文明と重ねる説もあります。もっとも現代の構造地質学が示すところによれば、大陸規模の土地が短時間で消失することはまずありえないため、実在説の多くは島などの消失がモデルになったものと結論づけています。なお、アトランティスの直接的に繋がる、または連想させる事件そのものは存在しないという説も有力であることも覚えておいて下さい。

アトランティスの由来

古代ギリシャ語である「アトランティス」という言葉はギリシャ神話のタイターン族のアトラスの女性形であり、「アトラスの娘」「アトラスの海」「アトラスの島」などを意味します。

アトラスという言葉は印欧祖語である支える(dher)に由来します。ベルベル諸語が元になっており、ベルベル人(北アフリカが発祥であり多くはアラブ人)のアトラス山脈への信仰に由来するなど、その語源には様々な説があります。アトラス神への言及はホメロスの「オデュッセイア」が初出であり、意味は「大地と天空を引き離す高い柱を保つ」とされています。

一方ヘシオドスの「神統記」以降は、ティーターノマキアーにおいてタイターン族側に加担した罪により、地の果てで蒼穹を肩に背負う姿として叙述されるようになり、フリル人(古代オリエント人)やヒッタイト人(インド地域)の神話に登場するウベルリの影響を受けたものと考えられています。またアトラスが立つ地の果ての向こうの大洋には島が存在し、ニュクス(夜)の娘達とされるヘスペリデスがゴルゴン族の傍らで黄金のリンゴも守っているとされ、後にアトラスの娘達として知られるプレイアデスやアトランティデスなどと同一視されるようになります。

アトランティスの代表的な諸説について

アトランティスの繁栄と滅亡について多くの説がありますが、その主たる論点は「ヘラクレスの柱」に対する解釈をめるぐ位置問題とアトランティスを滅ぼしたとされる「大洪水」の年代問題の考証です。なお一般学術的にはアトランティスに直接的にモデルとなった歴史的事実が存在するとは考えられていません。つまり単なる伝承か、プラトンによる創作話ではないかと考えられています。

1.地中海説

サントリーニ島の火山噴火説が現在最も有力とされています。サントリーニ島は日本の阿蘇山のような巨大なカルデラ(火山によって出来た凹型)の島であるため、サントリーニ島の爆発による津波によって滅んだミノア王国をアトランティスとしている説です。しかし話によるアトランティスと比べても国家としての規模が小さすぎることから文明消失のモデルとはなりえないとの否定的な意見もあります。そのため規模や年代、及び位置についてはプラトンの誇張ではないかという意見もあります。

2.大西洋説

プラトンの叙述によると、大西洋にアトランティスがあることになります。しかし、大陸と呼べるような巨大な島が存在した証拠はないため、アゾレス諸島やカナリア諸島などの実在する島や、氷河期の終了に伴う海面上昇によって消えた陸地部分であるという説です。

3.プレートテクトニクス理論に基づく大西洋説

現在の構造地質学である、プレートテクトニクス理論に基づく説です。これは、大西洋の両岸の海岸線を近づけてもキューバのあたりで大きく隔たり(一致しない)があることから、何かが沈んだ空白地帯と主張するものです。この空白地帯の領域は大陸というと日本列島程度の規模しかないため、大陸という呼称はふさわしくないかもしれません。しかし日本という国が入る程度の陸地があったわけなのでアトランティスという王国があってもおかしくはありません。

アンティキティラ島の機械

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アンティキティラ島の機械とよばれる歯車状の機械は1901年にアンティキティラの沈没船から回収されました。その複雑な構造の重要性は回収後何十年もの間気づかれませんでした。この機械は紀元前100~150年に製作されたと考えられており、同様な複雑さを持った技術工芸品は、その1000年後まで現れませんでした。

フランスの海洋学者であるジャック・イヴ・クストーは1978年にその沈没船を最後に訪れていますが、この機械以外の残りの部分(パーツ)は発見することはありませんでした。 この機械に関する最新の研究をしているカーディフ大学のマイケル・エマンド教授はこう言っています。「この装置はこの種のものとしては抜きん出ている。デザインは美しく、天文学から見ても非常に正確に出来ている。機械の作りにはただ驚嘆させられるばかりだ。これを作った者は恐ろしく丁寧な仕事をした。歴史的にまた希少価値から見て、私はこの機械はモナ・リザよりも価値があると言わねばならない」

アンティキティラ島の機械の起源

アンティキティラ島の機械は現存する最古の複雑な科学計算機として知られています。機械の作りが完璧なため、発見されていない試作品や類似の機械の存在が予想されるが、多くの歯車が組み合わさっているため、最古のアナログコンピューターと呼ぶ人もいます。またギリシャの天文学者らにより進められた天文学と数学の理論に基いて製作されたとされおり、ひとつの仮説として古代ストア哲学者ポセイドニオスによりロドス島に設立され、当時の天文学と数学の中心としてしられていたアカデミーでこの機械は製作されたと考えられています。

このアカデミー内で月の運行の計算技術に天文学者ヒッパルコスの理論が用いられているため、おそらくポセイドニオスかピッパルコスが製作に関わっているというのが有力です。

研究者たちは沈没した船は、当時この機械をジュリアス・シーザーによる凱旋式を称えるため、この島から略奪されたその他財宝と共にローマに運ぶ途中であったのではないかと考えられています。しかし2008年6月発行された科学誌「ネイチャー」で発表されたアンティキティラ島の機械研究プロジェクトの最新の報告では、機械の概念は古代コリントスの植民地に起源をたどることができるとし、アルキメデスとの関係も示唆しているが、この機械が貨物船に載せられた経緯は不明である。しかし学者たちの共通見解としてはこの機会自身はギリシャで製作されたと考えが一致している。

アンティキティラ島の機械の機能とは

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縮小化と部品の複雑さには特筆すべきものがあり、18世紀の時計と比較しても遜色ない程です。形状として30以上の歯車を持ち、歯の形は正三角形で、クランク(現在は失われている)を回転させると機構が太陽、月やその他の天体の位置を計算します。機械の目的が地上にいる観測者を基準とした天球上の位置計算であるため、必然的に天動説モデルを採用しています。

装置には主な表示板が3つあり、1つは前面に、2つは背面にあります。前面の表示板には2つの同心円状の目盛が刻まれています。外側のリングはソティス周期に基 づく365日のエジプト式カレンダーまたはソティス年を表示します。内側の目盛にはギリシャの黄道十二星座の記号が刻まれていて角度によって区切られています。この暦ダイヤルを4年に1回1日分戻すことにより、実際の1太陽年(約365.2422日)との誤差を補正することができます。注目すべき点は、最古のうるう年を含んだ暦であるユリウス暦の成立はこの機械が作られた100年後の紀元前46年だということです。

前面の表示板は少なくとも3つの針を持ち、1つは日付、残りは太陽と月の位置を示しています。月の表示針を動かして月軌道の真近点角が求められます。太陽についても同様の機能があると想像されますが、該当する歯車は発見されていないため定かではありません。前面の表示盤には第二機能として球体模型を使った月相表示機能があります。その他にもたくさんの機能が搭載されているためとても古代の機械とは思えません。

60歳のお誕生日には最高級のプレゼントを

60歳の誕生日は人生の大きな節目となりますので還暦祝いには最高級のプレゼントをするのもいいでしょう。
しかしどのようなものをあげるといいのでしょうか。
まず形に残るものでしたら宝石をプレゼントするのもいいでしょう。アクセサリーを普段つけない方でも高級なプレゼントは心に届くはずです。
また親御さんにプレゼントする場合は将来的に自分に回ってくるように自分もつけられるようなものを選ぶのがいいでしょう。
男性の場合でしたら趣味関係のものをプレゼントしてください。ゴルフの好きな方でしたらクラブなどでもいいですし普段ならなかなか高くて手の出せないものをプレゼントすると喜ばれます。
勿論女性の場合でも趣味関係の高級品をあげるのもいいでしょう。
もしも趣味が無かったりあまり物が欲しくない方の場合には体験できるものをプレゼントするのがおすすめです。
例えば高級ディナーをプレゼントすると思いでと言うプレゼントになります。他にも豪華な旅行も喜ばれるでしょう。
旅行は海外旅行もいいのですがゆったりと過ごしたいなら船旅もおすすめです。
思い切って高級な食べ物をプレゼントするという手もあります。高級な牛肉やワインなど普段飲めないものをプレゼントしてみてください。
まずプレゼントする時にはその人がどのようなものが好きなのかをリサーチする必要があります。現金や商品券でもいいのですがそれですとあまり印象に残りにくくなりますのでおすすめしません。

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